売掛金と買掛金の相殺
- 相殺は当事者の一方が相手方に意思表示をすれば足り、相手の承諾は不要(民法506条1項、法務省 日本法令外国語訳データベースの原文が存在することを確認、2026年9月確認)
- 相殺できるのは、双方が互いに同種の目的(金銭債権など)を有する債務を負担し、双方の債務が弁済期にある場合(相殺適状、民法505条1項)
- 悪意による不法行為・人の生命身体の侵害による損害賠償債務や、差押禁止債権は相手方の同意なく受働債権にできない(民法509条・510条)
- 下請法の対象取引では、弁済期にある債権との相殺で合理的な理由があれば下請代金の減額禁止(下請法4条1項3号)には違反しないとされるが、下請事業者との協議・記録化が実務上推奨される(法律専門家解説記事に基づく整理、条文原文そのものは未確認、2026年9月確認)
- 取引先が支払不能に陥った後に取得した債権による相殺は破産法上制限されることがある(破産法71条・72条、法律専門家解説記事に基づく整理、条文原文そのものは未確認、2026年9月確認)
この記事の内容
この記事は、同じ取引先に対して「売る側」と「買う側」の両方の立場を持っている個人事業主・中小企業の経営者に向けて書いています。 相手に請求書を送って入金を待つだけでなく、自社が相手に払うべき代金があるなら、それをぶつけて相殺できないか、と考えたことがあるはずです。結論から言うと、条件を満たせば相殺は可能で、しかも相手の承諾は不要です。この記事では、相殺できる条件・できないケース・実務上の進め方を、計算例と通知文例つきで整理します。
- 取引先への売掛金と、取引先からの買掛金が両方ある。差額だけやり取りできないか
- 相殺は相手の同意がないとできないと思っている
- 下請法の対象取引で相殺すると違反にならないか不安
結論:条件を満たせば、相手の同意なしで相殺できる
同じ取引先に対して、自社が「売掛金(相手に請求できる代金)」と「買掛金(相手に払うべき代金)」の両方を持っている場合、条件が揃えば一方的な意思表示だけで両方の債務を対当額まで消すことができます(相殺、民法505条・506条1項)。銀行振込や現金のやり取りを介さずに済むため、資金を動かす額そのものを減らせるのが相殺の特徴です。ただし「条件が揃えば」という部分が重要で、①双方の債権が同種の目的(金銭債権同士など)であること、②双方の債務が弁済期にあること、③受働債権(相手からの債権のうち自社が消そうとするほう)が相殺を禁止されている種類の債権でないこと、の3点を満たす必要があります。
なぜ同意が要らないのか:相殺は一方的な意思表示
相殺は、当事者の一方から相手方に対する意思表示によって行います(民法506条1項、法務省 日本法令外国語訳データベースに条文の掲載があることを確認、2026年9月確認)。契約のように双方の合意を必要とせず、単独行為として成立します。この意思表示には条件や期限を付けられません(同項後段)。また相殺の効力は、意思表示をした日ではなく、双方の債務が相殺できる状態(相殺適状)になった時にさかのぼって生じます(民法506条2項、遡及効)。つまり双方の弁済期が揃った時点から、両方の債務がなかったことになる扱いです。
相殺できる条件(相殺適状)とは
民法505条1項は、二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者はその対当額について相殺によってその債務を免れることができると規定しています。ただし債務の性質がこれを許さないときはこの限りではありません(民法505条1項、法務省 日本法令外国語訳データベースに条文の掲載があることを確認、2026年9月確認)。実務上の要件を整理すると次のとおりです。
| 要件 | 内容 |
|---|---|
| 債権の対立 | 自社と相手が、互いに相手に対する債権を持っていること |
| 同種の目的 | 双方とも金銭債権であること(金銭とモノの引渡し債務は相殺できない) |
| 弁済期の到来 | 自社が相殺に使う債権(自働債権)は弁済期が到来していること。相手への債務(受働債権)は、自社が自分の期限の利益を放棄すれば弁済期前でも相殺に使えるとするのが実務上の扱い |
| 性質上の許容性 | 契約や法律で相殺が禁止・制限されていないこと |
なお、契約書に「相殺を禁止する」旨の特約がある場合、その特約は当事者間で当然に拘束力を持ちます。民法505条2項は、この相殺禁止・制限の意思表示について、第三者がこれを知っていたか重大な過失によって知らなかったときに限り、その第三者にも対抗できると規定しています(民法505条2項、複数の法律専門データベースで条文を確認、2026年9月確認)。取引基本契約に相殺禁止特約がないかは、相殺を検討する前に確認しておく必要があります。
相殺できないケース:受働債権に制限がある
相手からの債権(受働債権)の種類によっては、相手の同意なく相殺できないものがあります。
| 受働債権の種類 | 相殺できるか | 根拠 |
|---|---|---|
| 悪意による不法行為に基づく損害賠償債務 | できない | 民法509条1号 |
| 人の生命・身体の侵害による損害賠償債務 | できない | 民法509条2号 |
| 差押えを禁止されている債権(給料の一定部分など) | できない | 民法510条 |
| 第三者が差し押さえた後に取得した債権による相殺 | できない(差押え前の原因に基づく債権なら可) | 民法511条 |
| 通常の売買代金・業務委託料などの金銭債権 | できる(弁済期が揃えば) | 民法505条 |
通常のBtoB取引における売掛金・買掛金同士の相殺であれば、この制限にはほぼ該当しません。制限が問題になるのは、相手への損害賠償債務を相殺に使おうとする場合や、相手の債権がすでに第三者に差し押さえられている場合です。
計算例:売掛金80万円と買掛金50万円がある場合
次の前提で、自社が取引先A社に対して持つ売掛金と、A社から自社への買掛金を相殺した場合の入出金額を計算します。
| 前提項目 | 設定値 |
|---|---|
| 自社のA社への売掛金(自働債権) | 80万円(弁済期到来済み) |
| A社の自社への買掛金(受働債権) | 50万円(弁済期到来済み) |
| 相殺できる範囲 | 対当額(少ないほうの金額) |
- 相殺で消える金額:50万円(買掛金の全額と、売掛金のうち50万円分が対当額として消滅)
- 相殺後に残る債権:自社のA社への売掛金 80万円 − 50万円 = 30万円
- 実際に動くお金:A社から自社へ30万円の入金のみ
相殺をしない場合、自社はA社へ50万円を支払い、A社は自社へ80万円を支払う、合計130万円のお金が動きます。相殺すれば、動くお金は30万円だけで済みます。取引先の入金が遅れがちな場合でも、相殺分については入金遅延のリスクそのものがなくなる点が実務上のメリットです。
文例:相殺を通知する
相殺は意思表示によって効力が生じるため、口頭でも成立しますが、いつ・いくらを相殺したかを証拠として残すため、書面(メールまたは内容証明郵便)で通知するのが実務的です。
件名:貴社に対する債権債務の相殺のご通知
○○株式会社
○○様
いつもお世話になっております。
貴社に対する当社の売掛金(請求書番号:○○、金額:○○円、
支払期日:○年○月○日)と、当社に対する貴社の買掛金
(請求書番号:○○、金額:○○円、支払期日:○年○月○日)
につきまして、民法第505条・第506条の規定に基づき、
対当額(○○円)で相殺させていただきたくご通知申し上げます。
相殺後の残額○○円につきましては、○年○月○日までに
貴社よりお支払いいただきますようお願い申し上げます。
ご不明な点がございましたら、お気軽にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
○○(会社名・氏名)
連絡先:○○
相手が相殺に異議を唱えても、要件(相殺適状)を満たしていれば相殺の効力自体は生じます。ただし、後日のトラブルを避けるため、相手にも計算根拠を示し、認識を揃えておくことが望ましい対応です。
チェックリスト:相殺する前に確認すること
相殺を通知する前に、次を確認してください。
- □ 自社の売掛金(自働債権)と相手への買掛金(受働債権)は、どちらも金銭債権か
- □ 自社の売掛金の弁済期(支払期日)は到来しているか
- □ 取引基本契約や個別契約に、相殺を禁止・制限する特約がないか
- □ 相手への買掛金は、損害賠償債務など相殺が制限される種類の債権ではないか
- □ 相手の買掛金がすでに第三者(相手の債権者)に差し押さえられていないか
- □ 相殺後の残額(差額)と、その支払期日を明確にできるか
- □ (下請法の対象取引の場合)相殺する理由に合理性があり、記録に残せるか
下請法の対象取引で相殺するときの注意点
親事業者が下請事業者に対して行う製造委託・修理委託・情報成果物作成委託・役務提供委託などのうち、資本金区分で下請法の対象となる取引では、下請代金の減額は禁止されています(下請法4条1項3号)。相殺そのものが一律に禁止されるわけではなく、公正取引委員会は、下請事業者に販売した商品の対価や弁済期にある貸付金などとの相殺は減額禁止に違反しないという考え方を示しているとされます(牛島総合法律事務所の解説記事に基づく整理、条文原文そのものは未確認、2026年9月確認)。ただし根拠があいまいなまま一方的に差し引くと、実質的な減額とみなされるリスクが残るため、相殺の内容を下請事業者と協議し、記録(メール・議事録など)を残しておくことが実務上の対策になります。対象取引の判定は入金サイトが長い取引先への対処|下請法で守られる範囲で扱っています。
取引先の資金繰りが厳しいときは急いだほうがいい
取引先が支払不能に陥った後に取得した債権による相殺は、破産法上制限されることがあります(破産法71条・72条、法律専門家解説記事に基づく整理、条文原文そのものは未確認、2026年9月確認)。経営状況の悪化を知った後に新たに買掛金を作り、それを相殺に使う対応は後で否認されるリスクがある一方、既存の売掛金・買掛金同士の相殺はこの制限の対象になりにくいとされています。取引先の資金繰りに不安がある場合は、相殺できる状態(相殺適状)になった時点で速やかに通知しておくほうが安全です。
実体験:管理部門として相殺処理を扱った立場から
前職ではEC事業会社の執行役員として管理部門を統括していましたが、仕入先と販売先を兼ねる取引先との間で、相殺による決済を使う場面が実際にありました。振込手数料や入金確認の手間を考えると、差額だけをやり取りするほうが合理的なケースが多く、相手側から「相殺でお願いします」と提案されることもありました。ただし相殺する金額の根拠を曖昧にしたまま進めると、後で経理上の突き合わせが合わなくなることがあったため、相殺通知の書面を残し、双方の請求書番号を明記するようにしていました。相殺は便利な手段ですが、「口頭だけで済ませない」ことが実務上いちばん効いたと感じています。
次にやること
まず、同じ取引先に対して自社が持つ売掛金と買掛金を洗い出し、双方の弁済期が到来しているかを確認してください。 条件が揃っていれば、上の文例を使って相殺の通知を送るだけで、動かすお金の額を減らせます。契約書に相殺禁止特約がないかも合わせて確認し、下請法の対象取引にあたる場合は、相殺の根拠を相手と共有したうえで進めてください。
※本記事は2026年9月時点の調査に基づく情報整理です。民法505条・506条・509条・510条・511条は法務省 日本法令外国語訳データベースで確認しました。下請法4条1項3号と相殺の関係、破産法71条・72条による相殺制限は、法律専門家の解説記事に基づく整理であり、条文原文そのものは未確認です。個別の相殺の可否・契約書の記載内容は、弁護士・税理士にご相談ください。
出典 - 民法(第505条・第506条・第509条・第510条・第511条)|日本法令外国語訳データベースシステム(法務省) https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/2057(2026年9月11日確認) - 下請代金支払遅延等防止法上の親事業者による下請事業者に対する損害賠償請求の問題点(相殺における注意点)|牛島総合法律事務所 https://www.ushijima-law.gr.jp/client-alert_seminar/client-alert/20240712subcon/(2026年9月11日確認) - 相殺禁止とは?対象となる不法行為債権の範囲と差押えとの優劣|BUSINESS LAWYERS https://www.businesslawyers.jp/practices/1226(2026年9月11日確認)